瓜 生 岩 子


瓜生岩子の生涯


1829年(文政12年) 熱塩加納村(喜多方市)に生まれた。

1868年(明治元年) 会津戦争では激しい戦禍で傷を負った兵士を敵味方なく救護にあたり、食糧を調達し、孤児を収容した。戦後の教育の必要性を感じ、私財を投じて幼学校を設立した。その後救済事業を学ぶため上京し、捨子、孤児等を収容している休養会所の取り組みを学び、帰郷して廃寺を借りて貧民救済や堕胎防止の活動を始めた。

1886年(明治19年) 救育所設立を願い福島に移り精力的に運動

1889年(明治22年) 福島救育所を設立。

1891年(明治24年) 岩は上京し窮民貧児のための救済機関として救養会所の全国設置を求め、第1回帝国議会に女性として初めて請願書を提出。

1893年(明治26年) 現在の福島愛育園である福島鳳鳴会を設立

1896年(明治29年) 藍綬褒章を受章

1897年(明治30年) 福島で過労のため病に倒れ、福島瓜生会事務所にて死去した。

この功績から社会福祉の母、日本のナイチンゲールとも呼ばれる。